嫌ならみるなというけど

ブログの一人称をどれにするのか、というのは、なかなか難しい。
「私」や「俺」、「僕」、「拙者」、あるいは「おいどん」とかでもいいわけだ。

このブログでは一人称に「私」を使っているが、それは「私」というのを使ったらカッチリした文章が書ける、と思い込んでいたからだ。スラムダンクでたとえるなら、アメリカに行ったら高く飛べると思っていた谷沢みたいなものだ。

それにしても、過去の文章を読み返してみると、内容が自分で読んでも恥ずかしくなるレベルであることに気付く。書いた本人が読んで恥ずかしいのだから、いわんや読者をや、といったところだが、まぁ我がブログは
「紙に書くのがめんどくさいからパソコンで書いてて、ついでに公開してるだけだもんね」
「嫌なら見なくていいんだもんね」
というスタンスを取っている。誰も読んでくれない場合の心理的ダメージを軽減するためだ。実際、誰も読んでない(アクセスすらない)ので、この戦法はおおいに成功している。

そういえば、「嫌なら見るな」で思い出すのは、少し前に某テレビ局が韓流ゴリ押し問題を批判されたときに、この論法を使ってたことだ。たしかにその通りのように思えるけど、誰も読んでないブログ著者のワタクシが使うのと、ものすごい影響力のテレビ局が使うのとは意味が違うだろう。テレビはなんだかんだで未だに力があって、特に子供や若い人なんかは簡単に影響されてしまう。その影響力に無自覚なまま、「嫌なら見るな」戦法を使うのは傲慢すぎはしないか、と影響力を微塵も持たない私は思ったりする。